2005年 05月 01日
Alex Chilton “Cliches” (1993)
c0075476_2464494.jpgアレックス・チルトンというと、かつてのファンには60代のボックス・トップス時代における若きソウル・シャウターという印象が、近年のオルタナ以降のファンにとっては伝説のビック・スターを率いた元祖パワーポッパーという印象が強いところでしょうが、このアルバム(1993)における彼は、そのどちらのファンをもいい意味で裏切るようななんとも彼らしくない世界を繰り広げています。いや、「らしくない」という表現は適当でないな。表面的、音楽的には確かに「らしくない」けれど、そこから立ち上る精神性は紛れも無く世紀の天才(変態)アレックス・チルトンという男そのものなのである。

ここでの彼は己のギター以外何一つ従えていない。頼るものは己の声とアコースティック・ギター一本のみ。えっ、ではフォークの弾き語りをやっているのですかといえばそうでもなく、なんとここで彼は意表をついて往年のジャズスタンダード、果てはバッハの楽曲にまで取り組んでいるのだから凄い。
コール・ポーターからチェット・ベイカーナンバーをギター片手に。こう書くといかにもお洒落で小粋なカフェ・ミュージックなんかを想像してしまうが、この男のことなので一筋縄にはいかない。確かに表面的に聞こえてくる音は非常にエスプリの効いた洒落っ気のあるグッドミュージックではあるのだが、醸し出す空気感がどこか異様なのだ。その妙な雰囲気を形容するのに適当な言葉が見当たらなくて困るのだけれど、いうなればやはりこれはロックのフィーリングであると思う。とても流暢にギターを弾き歌うので聴き逃しがちであるが、よく聴くとそのギター・プレイには若干のルードさや退廃的感覚が満ちていることに気付かされる。

考えてみれば本来、ジャズとはそのように「ロック」なものだったはずでなかろうか。チェット・ベイカーの歌と演奏を聴いてみよう。退廃と哀歓に満ちた響きに気付くだろう。如才なく晴れやかで、安定的で安全なジャズなんて本当のジャズではない。
残念ながらそのように「大人の嗜好品」と化してしまったジャズとジャズ文化そのものに対する痛烈なアンチテーゼとして彼はこのアルバムを録音したんじゃないだろうか、などと考えてしまう。

このアルバム、音の心地よさに何となく聞き流していると手痛いしっぺ返しを食らうことになるから注意が必要だ。
これはマジでカッコいい。紛れも無いロックであると思う。

<しばさき>
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by beatken | 2005-05-01 02:47 | review


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