2005年 08月 15日
Daniel Lanois “Acadie” (1989)
サニー・ランドレスのことを書いていて思い出したのがこのダニエル・ラノア。
ルーツミュージックをやや紗に構えて探求しているという点で両者に共通するものを感じます。リゾネイター・ギターの名手という共通点もあるし。
しかし、ダニエルのほうがランドレスよりももっとルーツミュージックに対し客観的な立場に立っているような気がしますが。この辺はやはり彼がカナダ出身である上にブライアン・イーノの弟子として世間に名を馳せたという経歴の持ち主というところに関連しているのでしょう。ザ・バンドのロビー・ロバートソンが「よそ者」としてアメリカ南部音楽に憧憬を寄せたのと同じく、彼もまたアメリカンルーツミュージックに対し独特の視点を有していると思います。(実際そうした気概に共通するものがあったのでしょう、ロビーのソロアルバムのプロデューサーをつとめたりもしているラノア氏です。)
だから彼は常に自覚的なルーツ音楽観を持つ優れたアーティストにプロデューサーとして引っ張りだこです。ボブ・ディラン、U2、ネヴィル・ブラザーズなど…。独特の深遠な音像を求めて彼に製作を依頼するミュージシャンは多いです。

c0075476_22425038.jpgこれはそんな彼のファーストソロアルバム。既に世界が彼を名プロデューサーとして認めていた時期に発表されたので、一体どんな内容になるかと期待を寄せられていました。
果たしてこれは期待以上のものでしょう。ルーツミュージックへのデリケートで豊かな見識が作品として一気に結実しています。初めてこれを聴いたとき余りの音楽的な深さに驚いてしまいました。
ボヤーッとした音像が提示する不可思議で幽玄な風景。限りなく映像的で広大な音空間。閉ざされた音空間を否定し、環境と融合しうる深遠な音響。これはまさしくイーノが提唱した「環境音楽」の方法論に近しく、この点で素晴らしくコンテンポラリーな要素も孕んでいます。
しかし真に特長的なこととしては、そうした環境音楽の手法をアメリカンルーツミュージックのパースペクティブによって実現されているという部分でしょう。過去、意識的なプロダクションによってそうした効果を志向した人がいたでしょうか?強いて言うならザ・バンドのプロデューサーであるジョン・サイモンなどが近しい仕事をしていたような思いもしますが、ここまで自覚的に、かつコンテンポラリーな手法によって実現したのは彼が初ではないかと思います。本当にこれは凄いことだと思います。

しかしそういった革新性の一方で、思い起こしてみると、本来こういった幽玄な性質というのは過去のプリミティブなルーツミュージックなどが先天的に内包していたものではなかったかとも思います。ハリー・スミスが編纂した、『アンソロジー・オブ・アメリカン・ミュージック』に代表されるような、あの優麗で妖しい雰囲気。土地の霊と交信するかのような泥臭さ。本来ルーツミュージックが持っていたそうした「深み」を現代的な手法によって再提示する、そうした試みだったのではないでしょうか。
ボブ・ディランが『オー・マーシー』の製作を依頼し、また『タイム・アウト・オブ・マインド』の製作を依頼したのは、ラノアのそうした視点に注目してこそのことだったと思います。ちなみにディランは『オー・マーシー』以降、意欲的にフォークロア発掘活動を行っていきますが、そのこともラノアとの出会いが非常に大きかったのではないかと予想します。

ここに紹介するアルバムはそうしたことを強烈に感じさせてくれる名作として、音楽史上極めて重要な作品であります。同時に、ポップスとしても凄い普遍性を持つ作品で、上記のような小難しいことを抜きにしても素晴らしい作品だと思います。非常に安価で叩き売られているので是非買ってみてください。


今、本アルバムを聴きながらこれを書いています。
そして外ではもの凄い雷が鳴っています。

どうでしょう、違和感無く溶け込む環境音。作品の連続性は失われ、妖しい響きとしてしか聞き取れないようになっても失われない音響の魅力。
この作品の真価を見た思いです。

<しばさき>
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by beatken | 2005-08-15 22:42 | review


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