2008年 12月 15日
クリスマスライブ
c0075476_1211893.jpg今年もあと二週間強で終わるのだそうです。あまり実感が湧きません。
いいことづくめでGet Happyだったあなたにも、できれば無かった事にしてほしいI Don't Want To Grown upな僕にも、平等に新しい年はやってきます。前者はエルビス・コステロ、後者はラモーンズですね。お好きな方を選んでください。そして、とにもかくにもWonderful Worldを体感できる素敵な新年を迎えようじゃありませんか…!

とその前に。

忘れちゃいけない西洋舶来の極めてホーリーなイヴェントがあります!さあ何でしょうか?…タイトル見りゃ分かるだろって言われちゃうとまあマジでその通りなんで何一つ抗弁出来やしないんですが、クリスマス・ライブなるものが、今年も賑やかにとり行われる模様です。

とき:12月20日(土)、5時半~9時半
ところ:ゲートウェイ高田馬場店1階7スタ

PTA会報風&クリスマスカラー的に表現してみました。うわーすっげぇ早朝!って自分で載せておいて自分で思ってしまった。夜ですよ、夜。
地図は上のやつを参照して下さい。高田馬場戸山口を出て、線路沿いを新宿方面にトボトボ歩いて行くとやがて現れます。左手に。行ってみたいけど知らない人の集まりに単身乗り込んで行くなんて、考えただけでも緊張で胃液が逆流しそうなトゥーマッチ・ナーバスさん(まあ言うまでもなく俺ですが)は、直近にサンクスがありますので、そこでユンケルでも二、三本万引きピルクルでも購入して、生きている乳酸菌の力を借りて行きましょう。そんなスタジオライブですが、「ブログ見て来ました」とひとこと言っていただければ、ソフトドリンク一杯無料券を進呈…あっ、スタジオ内飲食喫煙禁止? なぁーんだー残念だなあほんとうに。

さてさて、ビート研に深ーく関わった方々も、まったくの一見さんも、厚生事務次官でも全員超ウェルカムです。イギリスの方では、クリスマスというとしめやかに、家族でチャーチへ赴き、その後は家族でゆっくり過ごすのが定番らしいですけども、どっこいここは八百万の神様がどんちゃか騒ぎまくるYokoso!ジャパンなわけでありまして、今年も駒沢大学には壮麗なクリスマス・ツリーがきらめくことでしょう(あれ…?)。まあまあ、堅苦しいことは言わず、ノリノリな音楽かけてとりあえず踊りましょう!ブライアン・ジョーンズの「ジャジューカ」とか。

ではでは、おいでませ高田馬場。

<なかむら>
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# by beatken | 2008-12-15 12:04 | news
2008年 11月 18日
はっぴいえんど(2)
c0075476_2234319.jpg2.「午前一時は宵の口」

さて続きと行きましょうか。ストロークスを聴きながら書いてますが、裏切り者とか言わないで!
結成時にはもう解散の香りが漂っていたエイプリル・フール。細野、松本両氏が考えていた新しいバンドのコンセプトは、「当時の最新ウェスト・コースト・サウンドであるバッファロー・スプリングフィールド(の『アゲイン』)を音作りの手本とし、そこに日本語が乗る」というものでした。69年7月にテレビ出演(ヤング720)した細野は、ここできっぱり

「来年は日本語とロックを結納する」

と言い切ったらしいです。結納って表現が日本人らしさを表していてなんかかっこいい。と思いきや、実は「融合」と言いたかったらしい。実際の放送は見ていないので確証は持てませんが、結納なら結納で、結構意味が通るからむしろこっちの発言を正式なものとしたい気が個人的にはします。
ところが、ここで問題が生じます。小坂の忠さんです。当初は新バンドのヴォーカリストに…というつもりが、何がどう転がったのか、日本で初めてのロック・ミュージカル『ヘアー』のオーディションに受かってしまい、出演が決定したのです。小坂忠という人は、写真で見るとかなりロック的な顔立ちをしている(ロック的な顔立ちの定義については各人の想像力にお任せします)ので、選ばれても別に不思議な感じは全然しません。しかし困ったのは細野、松本両氏です。そんな69年夏頃、細野と以前から親交のあったある人物がぬぬーっと現れます。こんな言葉を口にしながら…
心の準備はいいですか?いきますよ…。

大瀧詠一「バッファローがわかった

っかー!シビレルー!! 僕は以前から、「男が一生に一度は口にしてみたい言葉ランキング」というものを自分で作成しており、委細は省きますが、まあその中身は「あれ? 12時なのに魔法が解けないんだね」とかそういう墓場にまで持っていかねばならないワードの宝庫な訳です。そんな中にあって、燦然とTOP3にランクインしているのがこれ、「俺はバッファローがわかった」。男なら一度は分かってみたいですね、バッファロー。通過儀礼的な意味合いでね。「座右の銘は?」といつか誰かに聞かれるのを楽しみにしているところです。
話を戻して、はっぴいえんどの重要なメンバーである大瀧詠一について少し。彼は岩手県出身。いいですねー。固い感じがしますね、なんとなく。そして中学・高校時代からとてつもないポップス・フリークで、エルヴィス・プレスリー、ビーチ・ボーイズ、フォー・シーズンズ、ガール・グループ(ロネッツ、クリスタルズ、シュープリームス)、そしてビートルズを中心とするリヴァプール・サウンズ大好きっ子でした。ビートルズの『抱きしめたい』を何百回も繰り返し聴くような、そんなチャーミングな一面も。微笑ましいエピソードですね。中二でFEN(ラジオの短波放送)を聴きつつチャートをつける毎日。エルヴィスに至っては作曲家別に分類・分析するという、一歩間違うと大変なことになってしまいそうな、滅法ゴキゲンな少年だったのです。
本人はドラムスなどをちらっと叩いたことがあったのですが、将来は漠然とDJになるつもりでいたようです。1967年春、大学に落っこった彼は、予備校通いを口実に上京、水が高いところから低いところに流れるが如くナチュラルに、仕送りはレコードに変身していきます。後にブルース・クリエイションに関わっていく布谷文夫らとバンド活動を行ったりしていましたが、その布谷を通じて様々な人物と出会っていきます。その中に細野晴臣もいたのです。大瀧は細野宅で『勉強会』―なんか政治家みたいなネーミング―と称して様々なポップ・ロックを聴きまくり、作曲技術などに磨きをかけていったようです。一晩中レコードを聴いて明け方早朝ボーリング。何なんでしょうかねこの一連の流れ。意味はよく分かりませんがなんとなく納得できてしまうのがなんともいえません。願わくば、そんなテンションのまま人生を乗り切ってみたいと切に思います。
松本も、もちろん大滝と面識はありました。しかしその印象たるや、

麻雀のときやたら怒鳴る人

だったというから最高です。たしかに大瀧は、後に麻雀の歌も作ってます。70年代の学生というものは、なにかというと卓を囲んでいるような印象がありますね。
だんだんと役者が揃ってきました。

1967年以降のロックは、どちらかといえば破壊的、アナーキーなものでした。楽しくて明るいポップソングは否定され、よりドラッギーでサイケデリック志向。「政治的」なものが求められていたと言えます。ある時期のグレイトフル・デッドなどに代表される、延々と続くインプロヴィゼイション(これもまた良し、なんですが)などが人気を博していました。そこからサイケデリックをアートとして昇華させたグループが少しずつ生まれていきます。イギリスではバニラ・ファッジが相当すると言われます。そしてアメリカでは、ジェファーソン・エアプレインなどと共に、バッファロー・スプリングフィールドがこれを代表するバンドだったのです。バッファローもサイケ色溢れるバンドですが、『アゲイン』を聴くと、すごくポップで明るい色も感じられて、細野、大瀧の好みにばっちり応えていたと言えるでしょう。カントリーフレーバーにも富む名盤です。はっぴいえんどのアルバムと聴き比べてみると、非常に面白いです。

エイプリル・フールは、細野にとって、そうした、ともすると重い、難解なロックから決別し、アメリカン・ポップスのにぎやかな楽しさをバッファローを媒介にして再生させるためのバンドでした。実を言うと、大瀧は当初こうした細野の意図が分からなかったようですが、後にふと友人の勧めでバッファローのシングルを聴いたとき、はっとバッファローの良さに気がついたそうで、それが上記の「バッファローがわかった」発言へと繋がっていくのです。このとき初めて大瀧は、音楽をやる気になったのです。歴史的な瞬間と呼んでもいいでしょう。1969年9月4日のことでした。
これが、はっぴいえんどの事実的な第一歩になります。

9月23日、細野は新しいグループ名を“ヴァレンタイン・ブルー”と決定、その後松本宅において3者ミーティングが行われます。27日の「エイプリル・フール・レコード発売記念」という名の解散コンサート、10月2日の「エイプリル・フール・フリー・コンサート」の終了を待って、細野、大瀧、松本の3人は、新しいグループの構想を練るため、東北から中部を周るドライヴ旅行に出かけます。まるで一本の映画のような雰囲気ですが、いつの時代も、音楽にはこうしたロード・ムービーが必要なのかもしれません。こうした一体感を経て、バンドは新たな着想を得たり、結束を強くするのでしょう。
旅行から帰って来た後、細野はギタリストを誰にするのかを考える必要に迫られます。エイプリル・フールに比して、ヴァレンタイン・ブルーは演奏力の点で劣っていました。大瀧はギタリストとしてよりも、ヴォーカリストとしての実力を買われていたからです。バンドの構想を実現するためには、相当なテクニックを持っている人材が必要とされます。細野の頭の中には、まだ高校生ながら、抜群のギターセンスを持った1人の少年の姿がすぐに浮かんできます。
鈴木茂です。
しかし鈴木茂も、小原礼、林立夫と“スカイ”というバンドで活躍していたこともあり、細野の誘いに少し躊躇したようです。しかし、松本・大瀧のオリジナル第1作「雨あがり」、これは「12月の雨の朝」の原曲ですが、これを聴き、その作曲能力の高さ、「日本語のロック」というコンセプトに魅力を感じ、ヴァレンタイン・ブルーへの参加を決めます。そしてその場で、あの「12月の雨の朝」のイントロを飾る印象的なフレーズを創り出してしまうのです。入ってくれてよかったよかった…。

さて、前置きが長くなりましたが、これでメンバーは全員揃いました。
ヴァレンタイン・ブルーという名の「はっぴいえんど」は、ここから本格的に動き始めます。

続く
<ナカムラ>
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# by beatken | 2008-11-18 22:35 | review
2008年 10月 22日
はっぴいえんど(1)
c0075476_18263785.jpg細野晴臣 - ベース、ボーカル:東京都港区出身。
ピアノやオルガンも担当する。
大瀧詠一 - ギター、ボーカル:岩手県江刺郡梁川村(現奥州市)出身。
松本隆 - ドラム、作詞:東京都港区出身。
鈴木茂 - ギター、ボーカル:東京都世田谷区出身

1969年「バレンタイン・ブルー」として結成、後に「HAPPY END」、転じて日本語表記の「はっぴいえんど」へと改名、URCレコードから『はっぴいえんど』『風街ろまん』、ベルウッドレコードから『HAPPY END』を発表している。1972年末解散。(wikipediaより抜粋)


自分がいかによく知っているものでも、他人にとっては全然まったく門外漢のチンプンカンプンのとんでもハップンだったりすることは世の常です。その辺の人捕まえて「かの有名なメネラウスの定理について質問したいんですけどー」と言ってみたところで質問された側にしてみればただひたすら周章、三歩下がって狼狽するより他なく、井の中の蛙、っていうのかどうなのかこの場合よく分かりませんが、自分のよく知っているものって他人も当然知ってると思い込んでいると大変文学的な人生になる恐れがあるので注意して生きていきたいものです。知らない土地に来て、地元のおばちゃんに道を尋ねたら「ホラッ!あのジャスコの向かいをグワッって入ったとこよ!ホラホラジャスコジャスコ!…知らない?分かるでしょあのジャスコよ」と謎のジャスコを連呼され(偶然韻を踏んでしまいましたが)、思わず「しらねーよ!」とブレーンバスターのひとつもお見舞いしたくなってしまうアレです。

そういうものの代表的な例が、音楽的に言えばこのはっぴいえんどに該当してしまうのではなかろうかと思われます。多分に個人的な意見ではありますが。この、日本語のロックを真剣に追求した四人組が残した三枚のアルバムには、その1970年代の「今」の空気と共に、現在今ここにいる我々にも同じように共感できる何かが凝縮されています。本来、西洋舶来の音楽であるロックが、単語自体にある種のビートが存在する英語でなく、異なった文法・発音体系を持った日本語で表現できるものなのか? それは、実のところまだ未消化のまま今日まで残されているように思われます。ただひとつ確実に言えることは、「日本のロック」というものが存在するためには、ただ海外からやってきたものをそのまま模倣し、そこへ日本語の歌詞を付加するだけでは全く不十分だったということでしょう。西洋におけるロックは、いきなり無からロックとして誕生した訳ではなく、それ以前のブルース、カントリー、R&B(年代的に先というだけであって、どちらが上というものではありません)など、黒人音楽を中心としたさまざまな音楽を吸収し、それが1950年代後半に結晶となって60年代に爆発した音楽であり、その成熟した果実のみを輸入し、銀の皿に並べてみたところで、肝心の幹や枝葉、さらに土壌や生育環境まで吸収するのは至難の業といえるでしょう。

しかし、そこに違った面白さを見出すことも可能なのではないか? そう考えることもできます。自己流の解釈、日本の視点から捕まえたロックというものがあれば(日本語でやる以上そうならざるを得ないとも言えますが)、それはそれとして独立した価値と魅力を備えることができます。これは他のことにも言えるのですが「勘違い」は意外に強いものなのです。多くの新しい文化が偉大なる「勘違い」によって生み出されているんじゃないか、とこれは個人的な推測ですが、そう思っています。
さて、では、どうしたらいいのか? となるとやはり頭を抱えてしまうもので、何事もまずは模倣から始まります。ここから、はっぴいえんどというバンドを通して、日本語ロックが挑んだ闘いについて考えてみたいと思います。

1.1969年4月1日
「日本語ロックの形成」を考えるにあたって、60年代に一世を風靡したGS(グループ・サウンズ)は避けて通れない道なんですが、今回はあえて避けます。すんません。話が膨大になり過ぎてしまう恐れがありますので。しかし、GSに関わった人脈が日本のロックを発展させていったことは、しっかりと認識しておきたいところです。特にザ・スパイダースの怪人、ムッシュかまやつことかまやつひろしのソングライティングなどは…。そしてはっぴいえんどもまた、GSとの縁が深いバンドなのです。
はっぴいえんどは、結成当初からはっぴいえんどだったのではありません。その前身となるグループがあります。それが「エイプリルフール」です。さらに、このエイプリル・フールにも母体となったグループ「フローラル」が存在していたりします。ややこしいことこの上ないですが、この「フローラル」は、もともとモンキーズ・ファンクラブの公募オーディションによって68年に結成されたGSバンドであり、ここにはっぴいえんどとGSとの繋がりが感じられます。もっとも、最初の「フローラル」には、はっぴいえんどのメンバーは一人もいません。メンバーが数人脱退した後、バンドの主要人物である柳田ヒロは新しいメンバーを探し始めます。そこである立教大学の学生に声を掛けるのです。彼は柳田の実兄が結成していたビートルズのコピーバンド「ドクターズ」でベースを弾いていて、当時から「あいつはウマイ」と評判でした。

ベーシストの名前は細野晴臣といいます。

柳田は、細野をレコーディングと月給五万円を条件に「フローラル」に誘います。卒業を控えていた細野は「半ば就職のつもり」でバンド加入を決心したそうです。この、なんとも軽い感じが、その後の事の重大性を鑑みると、なんともいえず格好良く思えるのは僕だけでしょうか。細野は当時サイケデリック・ロックバンド「バーンズ」でもベースを担当しており、そこにいたドラマーも、「フローラル」に加入することになります。この人物が、慶応大学の学生だった松本隆です。日本のロックシーンはかなり一局集中だったことが窺われます。
こうして出来上がった新生「フローラル」は、オリジナルメンバーである柳田ヒロ、小坂忠、菊池英二に、新たに加わった細野晴臣、松本隆の五人となり、1969年4月1日、日付にちなんで「エイプリル・フール」として新たなスタートを切ります(命名は細野)。

ここで後のはっぴいえんどのメンバーとなる二人が登場するのですが、音楽的なことがらについて少し説明を加えると―

細野晴臣は、早くからアコースティックなサウンド―ピーター・ポール・&マリー、キングストン・トリオ、ボブ・ディラン―の影響を強く受け、立教大学に入学後も、さまざまなアコースティックバンドに参加、ビートルズやマージー・ビート、アメリカのウェスト・コースト系の音楽(ビーチボーイズなど)やブルースロックなどにも多大な影響を受けながら独自の音楽性を見出していきます。音楽センスは他のバンドと比べても群を抜いており、複数のバンドから引く手あまただったそうです。。
ベーシストとしての側面が強調されがちですが、優れたアコースティック・ギタリストでもあった訳です。

松本隆は、小、中学校時代、クラシカルな音楽、特に20世紀のもの―ドビュッシー、マーラー、ストラヴィンスキー等―を好んで聴いていたようです。また、ポー、ランボー、コクトー、ボードレール等のヨーロッパ近代文学に没頭する文学少年でもありました。なんちゅー少年だったんだと突っ込みを入れたくなりますが、後々の活動を考えると妙に納得してしまいます。後にビートルズと遭遇(リアルタイムなのが羨ましい限り)し大きなショックを受け、リヴァプール・サウンドやシャドウズなどのインスト・ポップに惹かれていくことになります。そして、忘れてならないのは早川義夫率いる「ジャックス」の影響でしょう。

この二人だけを見ても、その音楽的な裾野の広さには驚嘆させられてしまいます。今でこそ、メディアの飛躍的発達によって、どんな小さな情報であっても探し出すことが可能になってきましたが、1960年代の日本にあって、これだけの音楽を聴く、ということだけでも、周囲からは相当な音楽マニアだと思われていたことでしょう。まだまだ海外の音楽事情についての情報が乏しく、レコードの発売もリアルタイムではなかったり、ミュージシャンについても僅かな知識しか持ちえなかった当時にして、これだけ豊富なカタログを収集することができたのは、ひとえに、音楽に対する情熱以外の何物でもないように思われます。「ちびまる子ちゃん」でも、花輪君が「ああ、ビートルズならブートレグ(海賊盤)まで買ったよ」と述べているように、ある程度の財力も必要だったことでしょう。まあ、この後ろに「大瀧詠一」という変態…もとい偏執狂、あ、あんまり変わらないや、とにかくそういう偉大な人物(マニア)が控えている訳ですが、それはまたちょっと先のお話です。

話は「エイプリル・フール」に戻ります。
細野、松本の二人はこうしてバンドに参加しますが、このバンドは結局アルバムを一枚残したのみで解散してしまいます。もしあなたの周りにこのアルバムを持っている人がいたら、その人は高確率でかなりディープな音楽好きと言えるでしょう。大切にしてください。ディスクユニオンのLPバッグで学校等に通っている人を時折見かけますが、そういった類の人物に多いような気がする、というのはあながち偏見とは言えないのではあるまいかと思いますね。このアルバムは時代性もあるのかサイケデリック色が強く、ボブ・ディランの「プレッジング・マイタイム」のカヴァーを除いて、すべてが英詞主体のオリジナルで構成されています。
1970年代を目前に控えたこの時期、世界的(主に欧米でしょう)にもロックが多様化へ向かいつつあり、もともとアコースティックでポップでロマンティックなものをロックとして志向する二人(この頃ジョニ・ミッチェルやローラ・ニーロなどを好んで聴いていたようです)、及びそれに共鳴する小坂と、他のメンバーのインプロヴィゼーション重視でジャズ的なアプローチが噛み合わず、69年9月のLP発売時点で解散はほぼ決定していたようです。三人は、脱退した後どうしようかなと、新しいバンドの構想を描き始めます。
ここで、「日本語のロック」という重大なキーワードが現れてくるのです。

細野、松本両氏にあった共通認識は”日本のロックのアイデンティティは「日本語」に求めるしかない”というものであり、当時の音楽シーンで言えば、遠藤賢司やジャックスの音楽性の中に、何か新しいものを感じ取っていました。ここからひとつ分かることがあります。それは、少なくともこの時点では「日本のロック」=「日本語のロック」と捉えている点です。一見当たり前じゃないか、とも思えますが、重要な視点なのです。つまり、音楽的には自分達が聴いてきた海外のロックを(自分達で吸収し、再構成するという過程は当然経ているとしても)土台にしているということです。音楽自体を大きく変革するということはしません。これは、しないのは良くないという意味では全然なく、そもそもロックとは外国で生まれたものであり、エレキギター、ベース、ドラム、キーボードなどが主体であるという、おおまかな「型」が存在していて、その「型」の部分にまで変化を加えてしまうと、当時にあって、それはいわゆる「ロック」とは呼ばれないものになるでしょう。ずっとギター、ベース、ドラムなどを演奏していた彼らにとって、音としての「ロック」とはすなわち(エレキ)ギターであり、それは四十年近く時間が経過した現在も、実はそう大きくは変わっていないのではないかと思います。言い換えれば、彼らはロックの「精神性」の方に重心を置いたのです。言葉とは、つまり国を表し、思考の根幹となるもので、今までの英詞のロックに対し、音楽性はそのままで(ただのポップスや歌謡曲になることなく)日本語が乗ったとしたら、それだけでロックが「日本のもの」として再認識されるのではないかという直感が、二人、ひいてははっぴいえんどにはあったのだと思います。そして後に、その直感は現実のものとなるのです。

続く
<ナカムラ>
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# by beatken | 2008-10-22 18:27 | review
2008年 09月 19日
雑記
下の方でやや興奮気味に書いたディラン11月来日説は、その筋の人間によると、どうやら中止になった模様。もう残念で残念で、完全にヤケ酒の毎日です。ルートビアとか。アルコール入ってねーよという話ですが。個人的にちょっと、酒飲むとろくな考えを起こさないので自粛。気が付いたら凶器準備集合罪で捕まってたとかシャレになりませんからね。でもこの話、まったくのデマでもなかったらしいですね。アジアツアーの一環として、一旦は日本も候補に挙がっていた、らしいです。伝聞推定が多いな今日。その後、やれ中国の仕業だのハルマゲドンだのといい加減な噂があちこちから出ている様子です、が、結局どのみち日本公演はないという事実に帰着することには何ら変わりなく、もはや誰のせいでも別にかまやしません。ディランの愛犬がなんか寂しそうだったから「やめとくわジャパン公演…」でも大いに結構!充分に体勢を整えてから、ドーーンと来てもらえばいいんです。梅田芸術劇場メインホールとかに。

2003年くらいにも来日の噂があったような気がします。そのときは、アメリカのアフガン戦争の影響で中止になったとまことしやかに囁かれていたもんですが、ディランのツアーは他のミュージシャンのツアーとは違って「ネヴァー・エンディング・ツアー」(個々のツアーにはまた色々と名前が冠されているそうですが。これが結構面白いらしい。)なので、こちらもどっしり構えて待ち構えていれば、近いうちに必ずディランは再び日本の土を踏んでくれることでしょう。

ビート研は夏合宿も無事終わって、これからは学園祭という一大イベントが控えています。
準備は大変だけどあれは楽しい。ぜひ頑張ってもらいたいです。

<なかむらc0075476_1951355.jpg
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# by beatken | 2008-09-19 19:05 | etc
2008年 08月 31日
早いとか遅いとか
さあ、これから夏休みの宿題を徹夜で片付けなくっちゃ。
と、いまだにこの日になると思うもので、俺は相当追い詰められてから物事をはじめる性質であったようです。もっとも、昨今では夏休みも、八月の行き止まり―今日まであるところは稀有になってきたのではないでしょうか。小学校、中学、高校、押しなべて、未だ始業せざるは無し。この調子だと、スローライフとかなんとかは一遍死んでから始めるしかなさそうですね。

大学生の夏休み、は日本社会のエアポケット。
何らの懸念もリスクもなく二ヶ月以上の日々を自由に消費し、浪費し、逃避し、韓非子、と韻を踏むまでもなくやりたい放題、懶惰の限りを尽くしてオーケーイと何となく雰囲気的に認められている不思議な一時期であります。
しかし人間ポーーンと時間ができてみるとさて、どうしたものかと手をこまねいちゃったりするもので、沈思黙考、正しい学生の休日とは?などと哲学的思惟に浸っているうちに日が暮れ、ああもう夜だ、仕方がないからスナック菓子でも喰らって寝ようと部屋着のまま近所のコンビニへ歩いたのが今日一番の遠出、なんてことになってしまったりするのです。誰のことかは想像するに難くありません。もっとこう、としまえんとか行っとけば良かった、と今更ながら思いますよ。

だがしかし、然るにでも、早いとか遅いとかないですよ。
と、声を大にしたり小にしたりしながら言いたい。TPOに合わせて。タイム・プレイス・オクトーバーでしたかあれは。
よく、
「もっと早くからビートルズやストーンズを聴いていれば良かった。やはり昔から聴いている人のほうが深みがある気がするし、最近ちょっと聴き始めたばかりなのに、分かっている風な顔して話をするのはおこがましい心持ちがする」
といった旨の事を口にする人がいます。音楽に限らず、映画でも本でも漫画でも服飾でも上方落語でも、ありとあらゆる場面でそういうことは思ってしまいがちです。かく書いている自分も、しばしばそうした感慨にとらわれたり、実際に口にしてしまうこともあります。「もっと早くからギターちゃんとやっていればよかった」等々…。

だからこそ言えることがあります。早いとか遅いとか、そういうのは全然問題にならないと。

あるいは自分に言い聞かせているのかもしれません、でもそう思います。
もう胎教からフィールグッド聴いてましたという人間と、今日「She Does It Right」聴いて大感激して弾けないけどウィルコ・ジョンソンのつもりでチューニングの狂ったギターかき鳴らしてましたという人間のあいだにどうして優劣が付けられるでしょうか?「その音楽が好き」という一点において両者は同一の地平に立っているのです。ただ知識という点で、より多くの情報をもっているかどうか、そこだけが違うと言ってもいい。でも「知識」は、それだけで見ればただの物理的情報に過ぎません。つまり、知れば一緒。百年前から知っていても、ついさっき知っても、客観的に見れば両者とも「同じ知識を持っている人」になります。アメリカ横断ウルトラクイズみたいなもんですよ。答えられればいい。
それに比べて、感動、心の躍動というものは、完全に主観的なものであり、こと芸術の分野においては、こちらの方がはるかに重要視されます。「より多くを知っていること」よりも「より深く感動したこと」の方がどれだけ大きいか知れない。知りたければ本でもなんでも使って情報を頭に入れればいい。それで終わりです。いわゆる「教養」にはなるでしょうが、それだけでおしまいというような味気ない人はいやです。個人的に。同じものを見て、聴いて、あなたはどう感じたか?自分ならばそれをこそ聞きたいし、面白いと思うことがあったらそれをみんなに話して面白さを伝えたいと思います。だから、早くからビートルズを聴いていなかったことを悔やむ必要は全くありません。むしろその「悔やむ」という部分に、「こんなに良いものをなんで早く聴かなかったんだ」という気持ちがあふれ出していて、ものすごく好感が持てる。そういう人と一生付き合って生きていきたいものです。死ぬまで色んなことを新しく感じて。

知識があることを軽視しているのでは、無論ありません。「知識」と「感激」がお互いに触発し合って、どこまでも高みに昇っていくような人もいます。すぐ近くに。このページにいますよ。

記事の下に<しばさき>と書いてある。



さてと…。つーことは、まあ、としまえんも、別に遅くないというわけで…。通天閣でもハウステンボスでもどこへでも行ってやるよちきしょう!と、一人で鼻息を荒くしている晩夏の午後です。言い忘れてた、しんまおめでとう!お前のギターは毎日弾いてるよ。

<なかむら>
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# by beatken | 2008-08-31 15:59 | etc
2008年 08月 14日
ディランが来る!   かも。
ボブ・ディラン来日!




の噂。

えー、スポニチ風に大ニュースをお伝えしたわけですがー…。はっきりとしたソースは現在のところほぼ皆無であります。ただ、ネットでまことしやかに流されている噂。

ディラン11月来日説!

チケットは二万、三千人規模のホール…。
噂にありがちな細かいディテールが否応なしに期待感を煽る…!!
結構ファンの間では知られている話らしいので、好事家のみなさんにおかれましてはご存知の方も多いやも知れません。もし現実となれば、2001年以来7年ぶりということで、あの時武道館のステージ真横辺のところからディランの横顔を固唾を呑んで見守っていた十代の少年は、いまや大学も二回ダブって卒業しちまってますよ。ええ。感慨深いです。

ソールドアウト必死のプラチナチケット化はもはや必至でしょう。
今から有事に備えてブタさんの貯金箱にコンビニでブラックサンダー買ったおつりとか細かく貯めておきましょう。いやーきて欲しいなあ。興奮醒めやらず。

<なかむら>
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# by beatken | 2008-08-14 16:05 | news
2008年 08月 08日
ジョージ・ハリスン「リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」
c0075476_16513166.jpg夏バテ解消を目指し、様々な方法を試してみましたが、どれもいまいち効きません。
脂ののった生きのいい中国ウナギも大いに食べましたし、カキ氷にリゲインぶっかけてみたり、昨日なんかは夏季限定「キットカット・スイカ味」を勢いで口に入れたりもしました。ネスレの社員が思いつきでとりあえず作ってみたんじゃないかという気がとてもする味でした。

しかしなぜだか一向に、夏バテの奴は出て行こうとはせず、「ああ、せっかく政府の言うとおりエアコンの設定温度を28℃にしてがんばっているのにやるせないことだなあ」と考えていた矢先に解決策がありました。魚心あれば水心。何事もこちらから向かっていくことが肝要っすね。

ジョージ・ハリスン「リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」

久しく聴いていなかったこの一枚をターンテーブルに乗せた時から、夏バテどころか、今年の夏は今から始まるんじゃないかという気さえしてくる魔法の一枚。ジョージが亡くなってからもう七年余りが経とうとしています。生きていてもまだたかだか六十代半ば。ジョージと深い親交のあったボブ・ディランがほぼ同じ年齢で、現在もネヴァー・エンディングツアーを精力的に続けていることを考えても、あまりに早すぎる死であったと思います。
そんなことに想いを馳せながら、簡単な説明をすると、このアルバムは、前作「オール・シングス・マスト・パス」から約三年後にリリースされた、ビートルズ解散後のソロ二作目。前作の大成功や、チャリティー・コンサートの先駆け「コンサート・フォー・バングラデシュ」の開催などから、ジョージは当時「解散して一番得をしたビートル」と呼ばれ、実力・セールス共に大成功を収めていました。このアルバムも全米で五週連続アルバム・ヒットチャートの一位に輝いています。
そんな状況にありながらも、このアルバムは世間の流れとは全く別の場所に存在しているかのごとく静謐で、より宗教的な祈りの込められたものとなっています。さりとて堅苦しいものでは決してなく、逆にポップで親しみやすいところがジョージの魅力です。

一曲目、「Give Me Love(Give Me Peace On Earth)」は唯一のシングル・カット曲で、ポール率いるウィングス「マイ・ラヴ」を抜いて「マイ・スウィート・ロード」以来二度目の全米ナンバーワンを獲得。いかにもジョージらしいスライドギターと、神に語りかけるような詞。何よりもジョージのヴォーカルが何とも言えず深い味わいを醸し出していて、何度でも聴きたくなるような優しい佳曲となっています。一発目からこんな名曲とあっては、もうこのアルバム全体が素晴らしいものであることは決定事項って感じです。

レコーディングには、リンゴ・スター、ジム・ケルトナー、ニッキー・ホプキンス、クラウス・フォアマン、ゲイリー・ライトなどなど、錚々たる顔振りが参加。プロデュースは、当初フィル・スペクターに共同で依頼しようと思っていたところが、精神的に不安定・アルコール中毒などの理由から断念。ジョージのセルフ・プロデュースとなっていて、あの特徴的な「音の壁」から離れたジョージの音が聴けるアルバムである、とも言えます。

表題曲「Living In The Material World」には、物質世界(マテリアル・ワールド)に生きる自分と精神世界(スピリチュアル・スカイ)に存在する神とを対比させた詞世界が広がり、特に、ビートルズのメンバーを名指しで登場させているところが興味深いところです。物質世界について歌う時にはガチャガチャした騒がしいバッキングが、精神世界を歌う時にはシタールやタンブーラで幻想的に、という歌い分けも面白い一曲。

みんなみんな物、物、物の世界さ
ジョンとポールも御多分にもれずこの世界
ひ弱ながらも各々ソロで動き始めたが
所詮”便利なリンゴ”だけは欠かさなかった
そうさぼくらも物、物、物の世界のいい例

この”便利なリンゴ”の部分で、当のリンゴがフィル・インを入れている。ユーモアも欠かさないジョージ、最高!

他にも、ジェシ・エド・ディヴィスが「スー・ミー・スーユー・ブルース」をカバーしていたり、コンサート・フォー・バングラデシュではビートルズ再結成の可能性もあったなどなど、言及したいことは多いですが、十一曲入り四十分のアルバムが、そろそろ三周目を終わろうとしているところですので、今日はこの辺で切り上げることにしましょう。


ぼくが住んでいるのは
物、物、物の世界

ここに居れば自分さえ見失うほど
でもこんな世界に生きてこそ
全てが開け、はっきりと見えてもくるのさ



おまけ:「Give Me Love」/91年日本公演(日本人が永遠に自慢できるジョージの単独公演)

<なかむら>
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# by beatken | 2008-08-08 16:51 | review
2008年 06月 20日
何を聴く?
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暑いですね。
もうどう申し開きもできないこんな暑い日には、何を聴いたらよいんでしょうか?
北方謙三先生だったら何と答えるだろうか…。ディアマンテス?「魂をコンドルに乗せて」はけだし名曲!!

夏へと全身でぶち当たって生きていきたい方にはビーチ・ボーイズやディック・デールなどのサーフィン・ミュージックはぴったりですね。ビーチ・ボーイズはうっかり後期を買ってしまうと大変サイケデリックな夏になってしまう恐れがあります(「ペット・サウンズ」とか「スマイリー・スマイル」とか、でも基本的にビーチボーイズはポップでメロディの美しいグループじゃないかと個人的にはおもう)が、それはそれでまた趣のある日本の夏じゃあないでしょうか。「サーフィン・USA」の、一見何にも考えてないようで実は本当に何にも考えていない最強のコーラスを口ずさみながら手近な海とかに行って砂にラヴレター書いてハイヤーで帰りましょう。だって「Inside, Outside, USA」って繰り返してるだけですからねあのコーラス。「内側外側アメリカ~♪」と試みに日本語にするともうすべてを太陽のせいにしてしまいたくなる異邦人な輩です。

世の中にはあまのじゃくさんも大勢居ます。二三人知り合いにもいます。
メインストリームに乗ってTUBEなんて絶対聴かないんだから!と誰に頼まれたわけでもないが心に固く決めている人たちです。ボブ・マーリーも無理やり頭で表のリズムに直して聴くという徹底ぶり。何があなたをそうさせたのか、そんなことは聞きません。そんなあなたにはこれ!トム・ウェイツ「クロージング・タイム」。
タイトルからして漂う店じまいの空気!渋すぎるジャケ!でも当時23歳!しゃがれた声で人生の悲哀を一手に引き受けてくれる夏の救世主と言えましょう。通常はアフターファイブ、つまり暗くなってから聴くのに適したアルバムではないかと思われますが、そこは天邪鬼、朝目覚ましに一発。これは我が国で例えるとすると、「遠き山に日は落ちて」を朝七時にセットして起きる人間に相当します。起きた瞬間に「閉店だよ!」とやられてしまう、往年の「ハイサワー」CMの如き文学的な光景が、そこには現出することでしょう。割・る・な・ら・ハイサワーッ!って、あれ?知らないこれ?

僕は今YUIを聴いています。最高ですねチェリー。小学校六年で読んだ「赤い実はじけた」って話をふと思い出しましたね。時代はいまや指先で送る君へのメッセージですよ。かけひきとかできませんよ。心なしかシェリル・クロウの「Everyday Is A Winding Road」に雰囲気が似てますね。ドラムの感じやら。気のせいかしら。両方持っている人は聴き比べてみて下さい。以前某人から「杏仁豆腐ってドクターペッパーの味しますよね」と言われ「いやいやいやいや絶対にそんなことはありません、どうあきほ」などと昭和なギャグを差し挟みつつ頑として自分の意見を譲らなかった僕でしたが、実際比べてみると似てました。この場をお借りして陳謝します。

というわけで、わけがわからなくなってきましたが、夏は暑いから音楽で乗り切りましょうということが言いたかったんだと書いた人が言ってます。それではまた。

                                                  <なかむら>
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# by beatken | 2008-06-20 16:48 | etc
2008年 05月 23日
NICO
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こんにちは。せっかくブログがあるので、こっちのほうもぼちぼちやっていきましょう。
OBの中村といいます。

過去ログを辿っていってもらえば一目瞭然、このブログは主にディスクレビュー、そしてBritishBeatClubのイベント情報やニュース、エトセトラ…、そんなものを訥々と、ゆったりしたペースで更新していっています。リアルタイムで確認するには掲示板が一番効率がよいのですが、たまにはこちらの方ものぞいてみると、何かしら更新されていて、もしかしたら何か参考になるような情報が載っているかもしれません。

さて、せっかくなので何かレビューしてみようと思ったんですが、「レビュー」となるとどうも肩肘が張ってしまって、何か深い、体系的な知識が必要になるような気がしてハードルが高いのです。なので、より直感的というか、「これ聴いたら良かったよ」という単純なフィールドで、細かいライナーノートはディスク・ガイドにお願いするとして、気楽にやってみたいと思います。

最近僕がよく聴いているのはNICO、という女性の「Chelsea Girl」というアルバムです。この人はいわゆる生粋のミュージシャンではありません。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドというグループに一瞬だけ参加してすぐに脱退した人で、その経歴はかなり華々しく、ドイツに生まれ十代からモデルとしてパリなどで大活躍し、アラン・ドロンとの子供をつくるなど、奔放な生活を送っていたようで、この他にもボブ・ディラン、ジム・モリソン、ブライアン・ジョーンズなどと関係を噂されたという、考えてみると結構とんでもない人物です。ブロンドの美女で、フェリーニの「甘い生活」にも出演しているとか。
1960年代後半。「ロンドンで何か面白いことをやっているグループがいる」とヴェルヴェット・アンダーグラウンドに目を付けたかのアンディ・ウォーホルが、自分の作成したフィルムにも出演させたニコをメンバーに加えないかと提案して、彼女はグループに参加することになります。このヴェルヴェット・アンダーグラウンドというグループについては、簡単に一冊の本になってしまうほどの音楽的衝撃があり、とても語り尽くせるものではないので、ここでは、印象的なバナナのジャケットがすっかり有名になった、歴史的名盤「The Velvet Underground&Nico」だけに触れたいと思います。今でこそこのアルバムは、ロック史に残る一枚として大いに認識されましたが、1967年の発売当時はさっぱり売れず、注目されず、放送もされずに終わっています。そしてニコはこのアルバム一枚だけで早々とグループを脱退。その主な理由は、

「歌っている時以外に何をさせるかが問題だった」

と、あんまりにもあんまりな、無計画さとルー・リード(グループの中心人物)の気乗りしない感じがよく伝わってくるエピソードを残しています。しかしながら、彼はニコのために数曲を書き、それらの曲は今もなお名曲として聴き継がれているところが不思議なものです。

しかし実際、一切のバイアスを取り払って、彼女の声だけに耳を澄ますと、これが何ともいえない魔的で退廃的な魅力を持っていることにすぐ気が付くはずです。メロトロンのように気だるく、物憂い、耽美的な低いトーンは、場の空気を瞬時に支配して、そしてなかなか解放してくれません。フラフラと、その声の響きが遠くなるまで、何者かに操られたかのように吸い込まれてしまうような感覚を覚えます。イギリスの深い森に迷い込んでしまったような、幻想的で、不安で、それでいて妖艶な世界。
脱退後、彼女は68年に初のソロ・アルバムをリリースします。それが他でもないこの「Chelsea Girl」です。タイトルは、ウォーホルとの最初のコラボレーションとなった66年製作のフィルムから。ジャクソン・ブラウン、ボブ・ディラン、ティム・ハーディンなど、錚々たるメンバーからの楽曲提供を受けたこの作品は、おや?と思うほど素直で牧歌的。明るい色彩に彩られています。すーっと心に沁みこんでくるような声。でも、やはりどこかしらにアンニュイな、終末的、退廃的なものを感じてしまう、繰り返し聴き返したくなる名盤です。

ソロは何作かあるようですが、実はこれ一枚しか聴いたことがありません。そんなもんです。
80年代にカムバックして出したアルバムがすごくいいと誰かから聞いたような…。
中古盤屋に探しに行きたい今日この頃です。
ああユニオン行きたい…。
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# by beatken | 2008-05-23 15:16 | review
2007年 04月 08日
【2007】 新入生大歓迎中!
お久しぶり、管理人(OB)です。
新歓の季節だというのに去年から更新されてないので、とりあえず、やってるよ!ということで。
イベントの情報などは掲示板のほうが早いので、新入生の皆さんはぜひチェックしてみてくださいな。

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# by beatken | 2007-04-08 17:00 | news